同メーカーなのに売ってるクルマが違う!! 多チャンネル販売の功罪

同メーカーなのに売ってるクルマが違う!! 多チャンネル販売の功罪

 ビスタ、クリオ、プリンス、オートラマ、カープラザ……。かつて存在した多くの「販売チャンネル」を覚えているだろうか。トヨタ、日産の一部にはまだ残っているが、現在は多くのメーカー、多くの車種で統一化が進んでいる。

 販売チャンネルが多数あることで、メーカーは何を得たのか。また、この多チャンネル化はユーザーにも利益をもたらしたのか。

 かつて隆盛を極めたディーラーの多チャンネル化の功罪を、流通に詳しいカーライフジャーナリストの渡辺陽一郎氏に解説していただいた。
文:渡辺陽一郎


■「クルマ」という商品の特性として必要だった

 1950年代から1980年代にかけて、クルマの売れ行きが急増する過程では、大半の自動車メーカーが複数の販売チャンネル(販売系列)を設けた。クルマは高額商品で、セールスマンにも幅広い商品知識が求められる。取り扱い車種を増やす必要はあったが、ひとつの店舗に多彩な車種を売らせるのは無理がともなう。

 そこで生み出されたのが販売チャンネルだ。チャンネルごとに取り扱い車種を決めれば、全車を扱うのに比べて、一車種当たりの販売力を集中的に高められる。セールスマンやメカニックの知識や技術も深まる。

クルマの販売には知識が必要だし、整備には高度な専門的技術が必要。そのためには取り扱い車種を絞る必要があった
クルマの販売には知識が必要だし、整備には高度な専門的技術が必要。そのためには取り扱い車種を絞る必要があった

 さらに販売チャンネルを設ければ、ディーラーをクルマのカテゴリーに応じて、ある程度専門化することも可能だ。

 例えば高級車を扱う店舗として、トヨタであればクラウンやセンチュリーのトヨタ店、日産はセドリックやローレルのモーター店、ホンダはレジェンドやインスパイアのクリオ店という具合に、高級なイメージを持たせられた。今のレクサスのように、店内を豪華に飾ることをしなくても、店舗の雰囲気や接客態度を中高年齢層向けの落ち着いたものにできた。これは顧客満足度を高める役割も果たしている。

 また販売チャンネルを設けたことで、クルマの売れ方もバランスが良くなった。全店が全車を扱うと、売れ筋が販売しやすい低価格車に偏るが、販売チャンネルが分かれていると取り扱い車種しか売ることができない。低価格車を持たない販売チャンネルでは、高価格車を堅調に売る工夫を行った。

■高級車ユーザーでも安いクルマがほしい場合がある

 それでも現実的には、カテゴリーの厳密な区分けは難しい。

 例えばクラウンを所有する世帯が、買い物に使うセカンドカーを必要とした時、そのニーズに合ったコンパクトカーがトヨタ店になければ不便が生じるからだ。そしてこの世帯が他社のコンパクトカーを買った場合、油断をすると、クラウンの需要まで他社に奪われかねない。コンパクトカーを販売したセールスマンとしては、クラウンを自社の高級セダンに乗り替えさせることが次の目標になるからだ。

たとえばクラウンを購入するユーザーでも、奥さんや子供向けに小さくて安いクルマを買いたい場合もある。そういうケースでは販売店の垣根が邪魔になる
たとえばクラウンを購入するユーザーでも、奥さんや子供向けに小さくて安いクルマを買いたい場合もある。そういうケースでは販売店の垣根が邪魔になる

 同様のことがコンパクトな車種を扱う店舗にも当てはまる。ユーザーが上級車種に乗り換えたいと考えた時、そのニーズを満たす車種がないと顧客を逃してしまう。

 このようにして、かつては販売チャンネルがあり、いろいろな需要に対応できる車種をそろえた。そうなるとメーカーの合計車種数は膨大であった。

 ところが2000年頃から、販売チャンネルは急速に衰退して、全店が全車を扱うようになった。現時点で残るのはトヨタの4チャンネルだけだ。

 販売チャンネルを廃止する時、各メーカーは「全店で全車を買えた方がお客様にとって便利だから」と説明したが、これは都合の良い言い訳だ。この説明が正しければ、わざわざ手間を費やして販売チャンネルを設ける必要はなかった。

 販売チャンネルを廃止した本当の目的は、車種を減らして、店舗の廃止や統合も進めたいからだ。販売チャンネルがあると、車種をむやみに廃止できない。4チャンネル体制で、合計8車種では、1チャンネルの扱いは2車種になってしまう。しかし販売チャンネルを廃止して全店が全車を売れば、8車種でも成り立つ。

 店舗の統廃合も同様だ。販売チャンネルと専売車種があると、店舗を廃止した場合、その地域に供給できない車種が生じる。しかし全店が全車を売れば、周囲の店舗でカバーできる。同じメーカーの、チャンネルの異なる販売店同士が隣接している地域など、全店が全車を売れば店舗を大幅に削減できるわけだ。

 このような国内販売のリストラを行いたい事情から、トヨタ以外の各メーカーは販売チャンネルを撤廃して、全店が全車を売る現在の体制に移行した。

 その結果、店舗と車種が減って国内販売が落ち込んだ。国内販売が最高峰だった1990年には778万台を売ったが、販売チャンネルのない2017年は523万台だ。ピーク時の67%しか売れていない。

 また前述のように売れ筋が、販売しやすい低価格車に偏った。1990年の新車販売台数に占める軽自動車比率は23%だが、2017年は35%に達して、2018年はさらに増えている。

■販売チャンネルは、過当競争の防波堤だった

 今にして思えば、販売チャンネルは、国内販売のスタビライザー(安定装置)であった。低価格化を防ぎ、品ぞろえの充実も促すことで、売れ行きを高める効果があった。このスタビライザーをはずされた2000年以降は、売れ行きが最盛期の70%以下になり、低価格化も進み、販売現場を疲弊させている。グローバル化によって生じた国内軽視、国内空洞化の象徴が販売チャンネルの撤廃だ。

販売チャンネルが廃止されたことで、各販売店はさらなる過酷な販売競争に晒されることになった
販売チャンネルが廃止されたことで、各販売店はさらなる過酷な販売競争に晒されることになった

 今さら販売チャンネルの復活は望めず、レクサスのような根底に階級社会的な発想のある売り方は(レクサス以外の中古車販売店で購入すると、車検などに来店してもオーナーズラウンジを使えないなど)、国内市場には馴染まない。遅きに失した感はあるが、せめてトヨタだけは系列の良さを残して欲しい。

 ちなみに最近はトヨタでも全店が扱う併売車種が増え、東京地区の4つの直営販売会社を融合するなど、販売チャンネルを形骸化させる動きが見られる。トヨタの動向は国内の自動車産業に大きな影響を与えるので、ユーザーと販売現場に対して優しい配慮が欲しい。

 そこで改めて過去の販売チャンネルを振り返りたい。自動車産業が100年に1度の変革期にあるといわれる今、得られる教訓は少なくない。

■トヨタ トヨタ/トヨペット/カローラ/ネッツ等

 車種の増加に伴い、将来の需要も見越して販売チャンネルを増やした。トヨタ店の前身は第二次世界大戦前に普及を開始して、トヨタ店となった戦後はクラウンやランドクルーザーを扱っている。カリーナ(今のアリオン)なども加えた。

 1956年にはトヨペット店が誕生する。1957年に発売されたコロナ(今のプレミオ)を扱い、1968年にはマーク2(今のマークX)も加わった。セダン全盛の時代には、ファミリーユーザー向けの販売チャンネルとして根強い人気を誇った。1967年からはハイエースを売るようになり、法人ユーザーも増えた。今ではアルファードも法人の購入比率が高い。

 1961年にはパブリカ店が発足。同年に発売された低価格のパブリカを扱い、1966年にはカローラも売るようになった。これが人気を高めて、1969年に販売チャンネル名を今のトヨタカローラ店に変更した。

  1967年にはトヨタオート店も加わる。1968年にカローラのクーペ版としてカローラスプリンターが登場して、まずはこれを販売した。2代目はスプリンターが独立した車種になり、セダンも用意するカローラの姉妹車になった。1998年には、販売チャンネル名をネッツトヨタ店に変更した。

 1980年にはトヨタビスタ店が発足した。同じ年に発売されたマーク2&チェイサーの姉妹車となるクレスタ、カリーナの姉妹車となる4ドアセダンのセリカカムリをなどを扱った(セリカカムリはカローラ店と併売)。1982年にはカムリがフルモデルチェンジを行い、姉妹車としてビスタが設定されている。

 ただしトヨタビスタ店は国内販売の急増に応えて創設され、将来の需要を見込んでスタートしたほかの3系列とは背景が異なっていた。そのために既存の車種の姉妹車を売ることが多い。クレスタは姉妹車ながらフォーマルな雰囲気で人気を高めたが、ビスタ店はいまひとつ存在感を発揮できず、2004年に販売再編でネッツトヨタ店に吸収された。

■日産 プリンス/モーター/サニー/サティオ/チェリー等

 日産は戦前から乗用車のダットサンを手掛けて販売網を整備していた。第二次世界大戦直後の1946年に、改めて日産と販売契約を結んだ販売店が多く、日産店がスタートしている。ダットサンの後継となるブルーバード、フェアレディなどを扱った。

 上級セダンのセドリックやローレルを売る販売チャンネルには、前述の日産モーター店があった。1950年代の中盤に設立され、当初はノックダウン生産していたオースチン、商用車のジュニアなどを扱い、1960年にセドリックが発売されると販売も本格化した。

 コンパクトカーを扱う販売チャンネルにはサニー店がある。文字通りコンパクトカーのサニーを売るチャンネルとして、発売に合わせて1966年から設定された。サニーが2000年代の前半に販売を終えて、ティーダと同ラティオに切り換わることもあり、販売店名をサティオ店に変更した。このほか1970年になると、コンパクトなチェリーの発売に合わせてチェリー店も設けられた。

 日産ではプリンス店も注目される。かつて存在したプリンス自動車の販売店を前身とすることが多く、プリンスAISH-Iなどの発売に合わせて、1950年代の前半から普及が開始された。この後、プリンスが1966年に日産と合併すると、日産プリンス販売となった。プリンス時代に初代モデルを発売したスカイラインとグロリアが看板車種であった。

 なお日産は1990年代の末から販売網の再編を行い、日産店とモーター店がブルーステージ、プリンス店/サティオ店/チェリー店をレッドステージと区分した。これも全店が全車を扱うと区分の意味が失われ、店舗の色彩も現在と同様になった。

■マツダ マツダ/アンフィニ/ユーノス/オートザム/オートラマ

 マツダは1980年代の前半に、従来のマツダ店に加えて、フォードブランドのマツダ車を扱うオートラマ店を発足させた。この後、1980年代の後半から1990年に掛けて3系列を加え、5系列に急増させている。各販売チャンネルが、それぞれ姉妹車を扱った。

 例えばマツダ店が売るミドルサイズセダンのマツダクロノスには、アンフィニブランドとしてセダンのMS‐8と5ドアハッチバックのMS‐6があり、ユーノスブランドは5ナンバーセダンのユーノス500を用意した。オートザムにはセダンのクレフ、オートラマはセダンと5ドアハッチバックのフォードテルスターという具合だ。アンフィニやユーノスの車両には、マツダの社名は入っていない。

 姉妹車を造り分けるために、販売現場は多忙をきわめた。当時を知るマツダの開発者に姉妹車の話をすると、全員が例外なく顔を曇らせる。

 1989年に開催された東京モーターショーの会場で、私はマツダの重役に話し掛けた。「なぜここまで急いで販売チャンネルを増やすのか。消費者の認知が追い付かない。今のままではマツダの国内販売チャンネルはすべて共倒れになる」

 すると重役は私の不躾な進言に不快感をあらわにしながら、

「クルマの売れ行きは販売チャンネルの数に比例する。その数を増やせば、クルマの売れ行きは必ず伸びる」

 と返答した。

 1990年にはマツダの国内販売は59万台に達して重役の言葉通りになったが、1991年には55万台、1992年には48万台に下がり、マツダは販売チャンネルを撤廃させた。

 ほかのメーカーは販売チャンネルを利用して売れ行きを伸ばし、撤廃して販売台数を落としている。しかしマツダは販売チャンネルの整備で失敗する異例の事態を招いた。マツダはあらゆる点でユニークなメーカーだ。

■ホンダ クリオ/ベルノ/プリモ

 ホンダは4輪車の進出に当たり、メカニズムが凝っていることもあって、ホンダSF(サービスファクトリー)を展開した。販売した後で、行き届いた点検や整備を行えることを重視した。

 しかし販売チャンネルが1つでは限界があり、1978年にプレリュードの発売と合わせてベルノ店を発足させた。この販売チャンネルでは、インテグラ、NSXなどを含めてスポーティカーを多く扱った。

 1984年にはクリオ店が設けられ、アコード、インスパイア、レジェンドなどの上級車種を売った。1985年にはシビックや軽自動車を販売するプリモ店も発足した。

 しかし2006年から、ホンダカーズへの切り換えが開始され、全店が全車を売るようになった。これに伴い、上級車種やスポーティカーが販売を下げていった。今では軽自動車の販売比率が約半数に達する。

■三菱 ギャラン/カープラザ

 1978年にコンパクトカーのミラージュを発売した。これに伴ってカープラザ店を設けている。ギャランをベースにしたエテルナを用意するなど、姉妹車が多かった。2000年代に入ると廃止されている。

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